2013/02/26

親切には敏感に、悪意には鈍感に


インフルエンザにかかりまして、約1週間ほど休んでおりました(タミフルを初めて飲んだのだけど、普段縁のないスピード狂いみたいな夢ばかり見たのは薬のせいかしら)。
5日ほど床に伏し、完治の波を感じたところで家から徒歩15秒の温泉へ。平日の昼間、さぞかし広々とお風呂を占拠できるのだろう!!……と思ってたのですが、実際の浴場はマダム達の集会場と化してて大混雑。居場所ナシでぱっぱと出てきちゃったけど、自分の知らない風景を見るのはいつだって楽しいもんだなぁ。

復活してからは反動で毎日お酒を飲んでました。恵比寿のネパール料理、代々木の羊専門店、恵比寿のモツ鍋、高田馬場のミャンマー料理。友人たちよ、ありがとう。心からの感謝を。

ずいぶん遊んだし、さぁてそろそろ日常に戻ろうと、そんな気分の中で見たゲラーズのライブがすごく格好良かった。荒さもえぐみもあったけど、なにより「やるんだ」って強い気持ちがグルーヴとして結実した演奏だった。今年は新しい音源が届くといいな。

2013/02/15

「メランコフ」2012年振り返り号


web利用フリーペーパー「メランコフ」2012年振り返り号の編集をお手伝いしました。

取材のみですがBIOMANのインタビューと、柴田聡子さん、STOMACHACHE.ともえちゃん、東京の演奏・こっちゃん、error403くん、Alfred Beach Sandal氏に年間BESTアンケートに答えてもらっております。ぜひチェックしてみてください!
http://www.melankov.com/

トマト卵焼き


引っ越したというのに、さっそく3日に1度は阿佐ヶ谷……。いきなりバシっと離れるのは難しいもんです。

2月頭、ゴロゥちゃんの呼びかけのもと阿佐ヶ谷クルーで新年会を開きました。場所は川名で、トマト卵焼き(油べっとりで、う、うまぁ〜…)を2回も頼んでしまった。

店を出て、10人くらいの男女が旧中杉通りをぞろぞろ歩く。とっくの大人になってからもコミュニティや居場所は増えていくんだなぁって、感慨深い気持ち。

阿佐ヶ谷での暮らしは、巷で言われる「中央線特有のモラトリアム」の雰囲気に確かに溢れていた(飲んで、飲んで、飲んでばかりの生活だったね…)。ただ、引っ越してすぐに震災が起こって、直後にあのどうしていいかわからない、どうしようもない気持ちを抱え、なんとなく近所の同年代の人たちと集ったことをすごく覚えてて、特に何を話したわけでもなかったけど、あの時に心強く思ったこと、仲間と強力しあえば生きていけるかもしれないと思ったこと、私ずっと忘れないなぁ。

2013/02/01

親愛なるなるなーる


実家を出てちょうど2年、阿佐ヶ谷を離れました。
阿佐ヶ谷さいこう!心の故郷!骨埋めるし!と非常に愛着を持っていましたが、色々アリ。「縁は異なもの味なもの」っちゅうことで(意味がすこし違うけど)、西へ移動したのです。

新居は23区内ではあるものの、阿佐ヶ谷って随分都会だったんだなぁ・・・と思わざるを得ない地味な街で、もともとがベッドタウン育ちの私としてはだいぶ落ち着く感じ。駅のすぐそばに小さい割に意外と気のきいた本屋と、温水プールがあるのがお気に入りです。
少ーーーしだけ生活に余裕ができるので、今年は遠出をしたいなぁと思ってます。「ただライブを見るためだけに地方へ行く」というのが好きで、夜行バスで遠くへ行き、なるべく東京にいるのと同じ風に過ごし(マックで本を読んだりなど)、ライブを見て、そのまま夜行バスで帰るというようなことをしたいと思っています。


引っ越しの数日前、段ボールを集めるべく夜の街をチャリで徘徊していたら携帯がなった。珍しい組み合わせの2人(本人たち曰く、年に1度のことらしい)から高円寺で飲んでるとお呼びがかかったので、ちょっとだけ顔を出しました。
その時に行ったビリエットという食堂がショー撃的にいいお店だった。素敵な女性が1人で切り盛りされてて、雰囲気は「やたらと集まりたくなっちゃう友人の家」。お料理もおいしかったです。

お店の素晴らしさに心打たれ、あまりこの時のことは覚えてないのだけど、楽しかった余韻だけは残ってる。今年もこういう出会いと愉快な会話がたくさんありますように。


画像:新居のテレビはブラウン管です

talk

「(「可処分所得年間112万円以下は貧困」というニュースを見て)ねぇねぇ、私貧困だったみたい」

「えっ、知らなかったの?」

「えっ、むしろ知ってたの?」

「うん、ちょっと前から気付いてたよ。自分は貧困だって」

「そうか、そうかぁ」

「まぁ、でも、僕たちは“明るい貧困”だよね。とりあえあず」